2024年08月17日
当時の憧れ、今でも数々の逸話が語り継がれている往年のスターといえば「石原裕次郎」氏。
小樽にゆかりの深い昭和の大スター・石原裕次郎さんのメモリアルホールとして、1991年7月にオープンした「石原裕次郎記念館」。裕次郎さんゆかりの品や愛用品、人気ドラマ「西部警察」で使われたマシーンなど約2万点が展示され、ファンだけでなく世代を越えてたくさんの人が訪れていました。
小樽の観光名所としても有名だったのですが、老朽化や来場者の減少などの理由により2017年8月31日に惜しまれつつも閉館しました。
閉館後の跡地や、記念館に飾られていた展示物はいまどうなっているのか、ご存じでしょうか?
石原裕次郎氏は昭和9年(1934年)兵庫県神戸市で生まれ、幼少期を小樽で過ごし、その後再び神戸で生活、兄の慎太郎氏をきっかけとして、俳優を中心に歌手、時に司会業などをこなすマルチタレントの先駆者として大活躍しました。
若き頃は映画俳優として数々のヒット作に出演、着々とその存在を確固たるものにしていきます。
1970年代は映画だけでなく、ドラマや歌手としてテレビへの露出も多くなり、ファンは老若男女の枠を超えました。
年齢を問わず一度は目にしたことがあるのは「太陽にほえろ」の「ボス」こと藤堂係長を演じている姿ではないでしょうか?
ブラインドから自分の部下を時に熱く見守る姿は、多くの方の目に浮かぶはずです。
普段の石原裕次郎氏も役柄同様、情に厚く威厳と信頼にあふれ、後輩の面倒見もよかったことから、のちの有名俳優の多くがその影響を受けました。
そんな石原裕次郎氏ですが、生涯ケガと病気の多かった人でもあり、1987年、52歳の若さでガンによりその生涯を終えています。
2017年8月31日に閉館した「石原裕次郎記念館」は、建物が取り壊され、現在は更地になっています。
以前の面影がなくなってしまい、寂しく感じているファンや小樽市民も多いと思いますが、実は裕次郎さん愛用のヨット「コンテッサⅢ」を、今でも見ることができます!
コンテッサⅢは今年、石原裕次郎記念館があった場所のすぐ隣にある小樽港マリーナの多目的広場に移設されました。
ここでは、ヨットのすぐそばまで近づいて見学できるようになっているので、誰でもいつでも好きな時に裕次郎さんのヨットを見に行くことができます。
グランドパーク小樽の海側客室やホテルが隣接している「ウイングベイ小樽」のマリンデッキからも、遠目でその雄姿を眺めることができますが、近くまで行って間近に眺めてみるとその大きさなどもよく分かるので、おすすめです。
ホテルから徒歩で行ける距離なので、ぜひ散歩がてら訪れてみては?
ほとんどの展示物は世田谷区にあるご自宅を中心に東京へと戻り、小樽から離れていきました。
しかし、愛用のヨット「コンテッサⅢ」の他にも、小樽市内の施設に寄贈されたものや、裕次郎さんの軌跡を見られる場所が今でもあります。
小樽市手宮にある「小樽市総合博物館」には、裕次郎さんが愛用されていたロールスロイスが寄贈されています。
自動車展示館にて夏季限定で展示が行われ、車体を間近で見ることが出来ますよ。
展示コーナーではロールスロイスと共に、ご本人が使用していた給油カードやSDカード、記念館から譲り受けた裕次郎さんのパネルやポスターが飾られているのでファン必見です。
さらに小樽市内にあるアーケード街のひとつ「サンモール一番街」では、サンモールギャラリーの一角に『石原 裕次郎を偲び出演映画作品展』と題し、裕次郎さんの出演作品のポスターが複数展示されています。
この作品展は、もともと期間限定開催だったらしいのですが、好評のため展示期間が何度も何度も延長されているようです。
アーケードの中には観光スポットとしても人気の「おたる屋台村レンガ横丁・ろまん横丁」、外には寿司屋通りや花園だんごで有名な「新倉屋」が近くにあるので、観光がてらぜひ足を運んでみてください。
他にも「石原裕次郎記念館」の敷地に設置されていた、愛用のヨット「コンテッサⅢ」がデザインされた特製のマンホールは小樽市水道局に寄贈され展示されていたり、記念館の展示品とは違うものですが、小樽駅の4番ホームは2003年に小樽駅開業100周年を記念して「裕次郎ホーム」と名付けられ、裕次郎さんの等身大パネルと記念プレートが飾られています。
「石原裕次郎記念館」が閉館してしまったあとも尚、こうして裕次郎さんゆかりの地である小樽のいろいろな場所で裕次郎さんの痕跡を目にすることが出来るのは嬉しいですね。
ファンの方はもちろん、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。