小樽情報
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小樽文学館★小樽ゆかりの作家たち

2017年12月12日

間もなく開館から40周年を迎える「市立小樽文学館」には、小林多喜二や伊藤整、石川啄木など、小樽ゆかりの作家に関する資料が収められています。小さな地方都市でありながら、数多くの偉大な文学者を輩出した小樽には、素晴らしい文学作品を生み出す豊かな文化的土壌と作家を引き付ける魅力があったのではないでしょうか?
 
 
 
小樽ゆかりの文学者の中から、3人の作家をご紹介します。
 
 

プロレタリア文学:小林多喜二

幼い頃に小樽に移住し、小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)に進学しました。困窮する自家の様子や過酷な労働に従事している人々を見て育ったことから、労働運動などへの関心が芽生えたと言われています。1929年、虐げられた労働者が闘争に目覚めてゆく『蟹工船』を発表し、一躍プロレタリア文学の旗手と言われるようになりました。その後日本共産党に入党し、困難な状況の中で活動を続けましたが、29歳の時に逮捕され、獄中で亡くなっています。一説によると、拷問によって死亡したとも言われており、小樽文学館には小林多喜二のデスマスクや不可解な死を伝える新聞記事なども展示されています。
 
小樽市内にある旭展望台に小林多喜二の文学碑があり、友人の妻に宛てた手紙の中の一文が刻まれています。
 
 
 

小説家・文芸評論家:伊藤整

父親の転勤に伴い小樽に移り住み、当時小林多喜二が上級生として在学していた小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)へ進みました。1926年に発表した処女詩集『雪明りの路』で注目され、東京に拠点を移してからも、小説や評論の分野で広く活躍しました。小樽で毎年行われている冬の恒例イベント「小樽雪あかりの路」は、この伊藤整の詩集タイトルにちなんで命名されたものです。後年、翻訳を手がけた「チャタレイ夫人の恋人」が猥褻文書であるとして起訴され、”猥褻”と文学表現、表現の自由などの関係を問う裁判へと発展しました。64歳で亡くなるまでに数々の賞を受賞しており、小樽を舞台にした作品も数多く残しています。
 
伊藤整の文学碑は、塩谷地区にあるゴロタの丘にあり、詩集『冬夜』に所収されている「海の捨児」の中の冒頭部分が刻まれています。
 
 
 

漂泊の歌人・石川啄木

1907年に小樽に赴任し、小樽日報社の記者として働いていましたが、社内の紛争に巻き込まれて退社し、約4カ月ほどの滞在で小樽を去りました。「漂泊の歌人」と呼ばれていることからも分かる通り、北海道内だけでも1年に満たない短い間に、函館、札幌、小樽、釧路を渡り歩いています。26年という短い生涯の中でたくさんの歌を残していますが、生前は生活に困窮し不遇のうちに亡くなっています。
 

小樽市内には石川啄木の歌碑が3つもあり、小樽駅から三角市場へと抜ける階段脇にある歌碑には、「子を負ひて/雪の吹き入る停車場に/われ見送りし妻の眉かな」、水天宮や小樽公園にある歌碑には、いずれも詩集『一握の砂』から、「かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ」、「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」と刻まれています。

 
 
 

小樽文学館について

「小樽文学館」は旧郵政省小樽地方貯金局の建物だった古い建物を再利用しています。北のウォール街と呼ばれる界隈に位置しており、周りには他にも歴史的建造物などもたくさんあるほか、小樽運河からも近いので、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
 
 小樽文学館では常設展のほかに、様々な企画展も開催されています。また、市立小樽美術館も同じ建物内にあり、共通入館券もありますので、文学や美術に興味のある方にとっては存分に楽しめる空間です。
 
市立小樽文学館・小樽美術館
小樽市色内1丁目9番5号
電話 0134-32-2388
 
 
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2017年の第157回芥川賞は、『影裏(えいり)』を書いた小樽市出身の沼田真佑さんが受賞しました。小樽にゆかりのある作家がまた一人誕生し、大変うれしいニュースでした。今後もますますご活躍されることを願っております!
 
 


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